【分科会2】監視するってどういうこと?


共謀罪法案のもっとも不可解な点に、実際にことを行なえば犯罪に問われることを、2人以上で話し合ったり、相談したりして、わずかな準備をしただけで「犯罪」として罰することができるわけですが、問題は、2人っきりで話し合っている内容をだれが、どのようにして知り得るのか、ということをあげることができます。

おそらく、密室などで2人っきりで話し合っている状況で内容を知るためには、部屋の中の会話の盗聴をしなければ知ることは到底無理ではないでしょうか。

実際に犯罪が行なわれていないのに、「犯罪」として取り締まり・摘発するには、国=警察が日本全国におかれた監視カメラのデータや電話の会話、メールのやり取り、SNSでの発信やつぶやきなど一人ひとりの国民の行動に目を光らせ、常に監視することが不可欠になってきます。

またそればかりではなく、知り合いや隣り近所の人からの「通報」や「情報提供」などを推奨し、お互いを監視しあうことになりはしないでしょうか。

そしてそれは監視社会をつくりだしいくのではないかと法律関係者からも指摘されています。

いつも集う仲間や市民グループなどで、政治的なことや時事問題をテーマとして、また地元に起きている問題などを話し合う際、その状況が監視されているとしたら、どんな気持ちになるでしょうか?

市民が集うことや、話し合うことが憚れるようになっていくのでしょうか?

そこで、このグループでは、この「監視する」ということをとりあげて、対話してみたいと思います。

ここでは、権力によって「監視される」という立場だけをとらえるのではなく、自分たちも日常の中で主体的に人を「監視する」というようなことをしていないのか、そのような気持ちがめばえたことはないのか、そんなことをリアルに探りながら、「わたし」と「監視する」との関係もさぐっていきたいと思います。

また、人が人を「監視する」ことのメカニズムや心理がみえてきたらという思いも抱きながら、「監視するってどういうこと?」を提起しました。

※共謀罪法案と監視についての参考記事
>>「監視社会」の危険性、論点に 「共謀罪」法案審議開始(朝日新聞2017年4月20日)

___________

>>お申込みはコチラから

___________

ファシリテーター
八尾浩幸(デモクラシー・カフェ@東村山

■デモクラシー・カフェ@東村山■
市民のデモクラシー力や対話力を身につけていくために、テーマを設定し、話し合うルールを決めて、いろんな年代や職業の人たちと対等に、コーヒーを飲みながら、なにを話しても安心して対話できる場を提供しています。

日常にあるいつも引っかかってきたテーマ「普通ってなに?」や、愛国心や郷土愛ってなに?差別とはなにかなど、テーマにしてきました。

また映画をみたり、資料館などへ出かけていって見学したのちに対話をしたりと、いろいろなパターンで対話を試みています。

自分の考えを見直していったり,意見の違いはなにか、違う意見の中に同意できるところを見いだすことができるのか、そんなことを念頭において対話しています。

月に一回、日曜日の午後、デモクラシーCafe へのご来店、心よりお待ちしています。

コメント