【報告】分科会3「言いたいこと、言えますか?」
共謀罪が成立していない時点においてすでに言葉をのみ込む状況があり、その根底を探るため、普段の生活の中で言葉をのみ込んだことがあったとしたら、それはなぜか?から話し始めました。
- 違うと受け入れられない。
- 相手に受け入れられそうなら言える。
- レッテルを貼られるのがこわい。烙印を押されたくない。決めつけられたくない。
- 言葉で傷つく。
- 言わないことで苦しくなり、言うようになったら少しやりやすくなったという経験。
- 昔はもっと自由に言えた。
何度か「違い」「傷つく」「レッテル」という言葉が出てきました。
相手と違うと傷つくのはなぜでしょう。
対話では、言葉をのみ込む話が多く、自分が一方的に決めた経験の話は出ませんでしたが、一方的に決める側の理由については、統制しやすいから、楽だからという意見が出ました。
途中で、ある方が自分にレッテルを貼ってみてくださいと発言し、自身を表すいくつかのカテゴリーの名称をあげました。
その時点から、その方以外の参加者が、その名称を通してその方を見る状況が生まれたとファシリテーターは感じました。
そこから対話がアドバイスに変化したように見えたのでファシリテーターが話を戻したのですが、もしかしたらそのとき、レッテルを貼って見た状況を、参加者それぞれがどのように考えたかを尋ねていれば、自身が一方的に決めつけたことに話が及んだかもしれません。
終了時間の間際に、受け入れられるには自分が受け入れる必要がある。意見と人格を分けることが必要という意見が出ました。
人格と意見を分けることが、自分のことなのか、相手を人格と意見に分けて見ることなのかによって視点が変わった可能性があります。
以上の2点が、話していたらもっと対話が深まったかもしれないと思う分岐点でした。
この対話が、参加した方にとって触媒になり、思索が続いていることを願っています。
対話の実験室@公-差-転
佐野佳子
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